愛しもてなし、善き管理者として賜物を用いて仕える
夜桜を観に行った。
息子は、夜桜ってのは、夜に咲く桜だと思っていたらしい。
まぁ、あさがお、ゆうがお、みたくね。
本日8:30より、うっでぃとは別行動。
うっでぃ依存の我が家住民にとっては、かなりの試練である。
昨晩は、うっでぃとの別れを悲しみ
(と言っても、わたしの実家に居るだけだが・・・)
大泣きをしていたアラレちゃんだったが、
期限付きであること、また、どうしてもダメな時は、
我慢しないで呼んでいいんだよ、ってことを、理解したので、
彼女は今日は大丈夫。
息子は、自分の環境さえ整っていれば、
周囲に誰かが居ようが居まいが関係ない、ので、大丈夫。
ガッちゃんがどうなるか?が、課題。
ガッちゃんが大泣きを始めると、薄情我が家の方々は皆、
「うるさい!泣いてどうにかなるわけじゃなかろう!」と、
キレル。わけで・・・。
まぁ、そんなこんなで、今日が始まった。
朝、うっでぃが、
「ぴーちゃん、離れるの辛いわぁ~。」と、冗談で寄ってきたので、
「あたしも。まるで、すけさんかくさんを無くした、
ハチベエみたいな感じ。なんちゅうの?てんてこ舞ってヤツ。」
と、答えておいた。
初めて子供等を一人で連れて行った教会学校は、進級式。
聖書の箇所は、第一ペテロ 4章10節
せっかくなので8節から。
『何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。
愛は多くの罪を覆うからです。
不平を言わずにもてなし合いなさい。
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、
神のさまざまな恵みの善い管理者として、
その賜物を生かして互いに仕えなさい。』 だった。
賜物ってのは、この世的善しとされることだけではなく、
この世的にマイナスとされること、
それ自体も賜物であることを、再確認した。
様々な事象に対し、マイナス感情を抱く、それ自体も賜物。
しかし、その賜物を、マイナスとして用いていくのではなく、
また、この世的にマイナスと称されることを、
周囲の視線を気にして、
封印していく、強制していくのではなく、
恵みとして感謝して受容し、更に善い管理者として、
他者に仕えるために、用いていくことが、
大事であることを、再確認した。
年度初めにあたり、今年度この子供達をどう育てていくか?を
また、自身の悔い改めと、自身のリアルでの生き方について、
再確認することが許された。
自らと子供達に与えられた賜物に対し、感謝し、
益々、胸を張り、堂々と、恐れることなく
この世で生かされていきたいものだと感じた。
『恐れることは無い、私があなたと共にいる。』という、
キリストの語りかけを感じることが出来た。
また、兄貴が言った、
「(ASという事実)そこから、主の栄光を仰ぎ見よう。」が
よみがえった。復活である。
感謝であった。
そんなこんなで帰宅し、息子とおっちゃん(=元旦那)に、
K県に居た頃に台風で吹っ飛んでいった、
電動自転車のバッテリーの購入と、
1年半も放置していた自転車の修理について、
チャリ屋さんに確認依頼をし、わたしら女軍団は県立図書館へ。
図書館にある芝生で少々遊び、おにぎり昼食を取り、
その後リサイクルショップでぬりえなどなどを購入し、帰宅。
娘等もわたしもぐったり。2時間の昼寝をした。
今日の日差しは強く、車中にいても日に焼けた。
右手と右肩が日焼けで痛い。明日から対策を練ろう、と思う。
依頼していた息子散髪から帰宅したおっちゃんと息子と共に、
夕食を作り、うっでぃに連絡をする。
うっでぃが実家から戻り、共に夕食を取り、娘等の入浴を。
その間。
おっちゃんのお父さん=息子の御爺ちゃんが、
お誕生日だったので、息子は電話を入れた。
ナニを話したらいいのかわからずに、
ナゼだか、わたしの聴診器を、自らの胸などに当てつつ、
あーだこーだと語っていた息子だった。
その後。
どうしても夜桜が観たいなぁ、と思っていたわたし。
夜桜見物許可をうっでぃに頂く。しかし、勿論、一人では無理。
で、おっちゃんに、夜桜も付き合って~♪を、依頼。
何気に母親も誘ってみると、
「あら、ぴーちゃん。丁度ね。
夜桜でも観つつ、ビール飲みたいなぁ、と、
思っていたところだったのよぉ。
お父さんを誘っても、ノッテクレナイシ。
お酒飲みたいから、一人で電車で行こうかなぁ、と、
思っていたところ。行く行く~♪」と。
親子だなぁ、とか、思ってしまった。
で、おっちゃん&母&子供等と、
『びわ湖疎水&三井寺に行こう!』となり。
何処に車を停めるか?→日赤
停めたはいいが、道がわからん→歩行者に尋ねる
いい具合に酔っ払ったおじさんが、
周囲の観光スポットまで教えてくれつつ、
三井寺入り口まで案内してくれた。感謝である。
日赤から日赤に戻るまで、約1時間半。
子供等は、楽しげに何処までも歩き、石段をスイスイ登る。
お寺の境内なんてのも、マジマジと見る。
屋台では、婆ちゃんと言うスポンサーのお陰で、遠慮なしにご注文。
運転しないからおビールを!と、婆ちゃんにすすめたが、
遠慮されたご様子。
母との会話は。
兄貴が引越していった数時間後に昇天された、
母と同じ歳で、
わたしが看護学校時代にお世話になったチャプレンであり、
兄がお世話になった牧師先生の話で。
前夜祭=引っ越していった翌日、
兄貴から、いつ何処でだ?と、メールが入り、
わたしは電報でも打つのかな?と思い、
時間と場所のみ伝えたが、
兄貴は家族に何も言わずに、
勿論前夜祭で母を見ても声もかけずに、
そのメールから数時間後には、
こっちに戻ってきていたらしい。
その頃、アラレちゃん嘔吐などなど、で、
わたしはバタバタしていた。
なんか、マルタとマリアを思い出した。
桜を見つつ。
昨年の4月10日、熊本空港から続く桜吹雪を思い出し、
そのままのわたしを愛してくださり、
常に祈ってくださっていた先生のことを、深く深く思い出す。
また、母の父の命日、
30年近く前の3月31日の、あの出来事を思い出していた。
夜桜が観たい。
母もわたしも、この時期は命を思う。
時間をかけて咲き、周囲に観られ、散る、その命。
桜は、周囲の目を気にしつつ、
周囲に気に入られるために、咲くだろうか。
たった数日で枯れる春の花達。
チューリップも木蓮も・・・
一瞬の中に、自らが放つ美を終結している。
「野の花が、どのように育つかを考えてみなさい。」
ルカによる福音書12章27節が、
満開の桜と共に、わたしに降りかかった。
皆で桜を楽しみ、おっちゃんとはバイバイ。
帰宅途中から、ガッちゃんがうっでぃを思い出し、
「うっでぃの足元で寝る。うっでぃの勉強部屋で寝る。」と、
ずーっと呟いている、で、帰宅&婆ちゃんバイバイ。
うっでぃが居ない、を、確認→大泣き。
大泣きしつつも、お布団に入り、すやすや寝てしまった。
咲いて、散る。
しかし、いつか、それは、どこかで、実を結ぶ。
今年、わたしは、何処で、桜吹雪を観るだろう。
わたしは、わたしとして、充分に咲いているだろうか。
咲くこともなく、自らの賜物を潰していやしないか。
とか、思った、が。。。
先ず、うっでぃ。
先日。
うっでぃという、実はかなりオモシロい人、を、
知るようになってきた母が。
「ちょっとぴーちゃん!
うっでぃ君が入学した年のK大ってさ。
採点ミスあったんじゃない???」
と・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いや、彼の、
我が家バージョン賜物は、
我が家のみで生かされていたりするので・・・。
と、答えておいた。
今年度も、先が全く見えない一年だ。
でも、思う。
それぞれの賜物を、心から愛し、大事に、大事に。
他者を裁くためではなく、他者に仕えるために。
来年は、
どんな桜を、何処で誰と見ることが、
許されるであろうか。
願わくば、それまで、許されて、我が命がありますように。
うっでぃ様。
ということで、今日のわたしの、ご報告。
コメ返事は、明日で。
こちらは、無事に、おやすみ(^▽^)っす♪
ねるぅ~。
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コメント
無事とのこと、一抹の寂しさを感じつつ、安堵。
私の目の前にも聖句。
『主ご自身 あなたの先に 進まれる 申命記3章』
『悩みの日に わたしを呼べ
わたしはあなたを助け あなたはわたしをあがめる 詩篇50篇』
アラレちゃんは、ダメだったら私を呼ぶんじゃなくて
こっちに来させてくれたら、足元で寝せとくさ。
ガッちゃんは・・・・・・
母君の疑問は、どこから生じたのか、
思い当たる節がまっっったくございません。
投稿 うっでぃ | 2008/04/06 23:51
*** うっでぃ様 ***
あのガッちゃん断乳の日=そこに、
わたしと息子が泊まった日、に、
わたしが記事にした&メールを送った聖句だよんっ。
覚えてますかぁ~?
採点ミスではなく、
あなたの頭の、回転ミスだったとは・・・(--;;;
投稿 ぴーまん | 2008/04/08 21:31