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最高優雅にて締 »

2008/05/05

雑感

早く寝る予定だったが、久々にウロウロしていたら、

岡山の事件に関して、とか、とか、

まぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   イロイロ見てしまった。

 

ちと、思ったこと。

 

障碍と犯罪率、について、は、

わたしは結構、かなり、どうでもいい=関心が無い。

 

別に、それ以外でも、大抵、いつもなのだが、

わたしは、『この世的』科学的根拠、とか、っていうモノが

あんまり、いや、かなり、好きじゃないし、

それ以上に、占いとか、なんちゃら、とか、かんちゃら、とか、

全く興味が無い。

 

データー的に、

高いと出たら、

「じゃっ、逆を行こうさっ!」と、思うし、

低いと出たら、

「ほんまかいなぁ~っ?」と、思う。

 

それに左右されて、あーだこーだ、では無く、

 

この世的には、そうらしい。

 

じゃっ、それに対して、自分はどうするか?が、

大事なのではないか?と思っている。

 

だから、わたしは、

自分がASであろうが、線維であろうが、

自分の子供が、ASであろうが、

そんなことは、結構、かなり、どうでもいい。

 

子供が風邪をひこうが、

怪我をしようが、

大きな病になろうが、

そのナニになっているか、は、

結構かなり、どうでもいい。

 

じゃっ、どうしようか?

どうしたら、最適なのかなぁ?

どうしたら、これ以上の苦痛を防ぐことが出来るのかなぁ?

に、思考が行く。

 

だから、周囲が、

ああいう報道は・・・。とか言っているのも、

あんまり気にならない。

 

むしろ、自分だったら?にしか思考はいかない。

 

 

 

仮に、わたしが犯罪を犯したとして、

その背後にわたしの思考があったとして、

その思考全てが=AS、とは、思っていない。

 

それは、様々な後天的な要素により、

なんらかの影響を受けた、

わたしだけが持ちうる、わたしの思考、である、

くらいにしか、思っていない。

 

だから、

『自身が犯罪を犯した場合』、

(というか、日々の暮らしの中でのチョコチョコでも)

それをASと絡められたら、

わたしは、うぅぅーん。。。(--;;;と、思う。

 

子供等に対しても、同様である。

障碍を『言い訳』にはしない。

我が家は、それで動いている。

 

ちなみに、他者に対しては、そうは思わない、ってのが、

自分の中でグルグルである。

 

そして、自らがASと知っている息子に対しては、

報道を普通に見せている。

 

だって、仮に、隠したって、彼、新聞読むし(^▽^;;;

 

そして、家族で一事件について、

様々な立場(加害者・被害者・弁護側・検察側・遺族・・・)から、

そのところを考えつつ、

自分が思うことを正直に語り合う。

 

その時、息子&わたし&うっでぃ・・・娘等、には、

喜怒哀楽、いろんなことは生じる。

「それ言っちゃならんぜよぉ・・・」とかいう台詞も、

信じられないほどに、正直に語り合うし、

「そう感じてしまうのは、わかるよぉ・・・」とかも、語り合える。

 

そこで、互いに、激しいバッシングも受ける。

しかし、そのバッシングにも意味があると思うし、

それを言い合える関係であることに、

わたしは、いい家族だなぁ、を感じる。

 

そして、皆の気持ちが、それぞれの気持ちが一致した時、

そこには祈りが生じる。

 

 

 

 

一昨晩。

おっちゃんとM美ちゃんと、

ガソリン税などの話から、

現在の老人福祉話、母子家庭福祉話、

私学の学費が年間30万・・・・

なんちゃらかんちゃら話へと流れていった。

  

で、結果。

おっちゃんは、まぁ、途中で寝た。

 

 

その後、

未婚主任看護師で様々な死と向き合ってきたM美ちゃんは、

珍しく熱く語った。

 

「ってか、○△の親・・・。年間30万↑→夢終わり、は・・・」

「うん。一緒。」

「ってか、○△の老人支える人間・・・」

「うん。一緒。」

 

 

同時に、

「ありえへんよなぁ~!結局、そこで、ナニをするかだよなぁ!」

 

だった。

 

障碍は、先にも後にも来るさ。

病も一緒さ。

老いも一緒。

交通事故も一緒。

(婆ちゃんのあの事故は、結局、とんでもない結末になった。)

 

 

生きていれば、ハードルはやってくる。

 

そんなの、当たり前だ。

 

そのハードルに、周囲は、様々な色をつけ、

こちら側の見た感じ以上のデカさなり、小ささなりを、

あーだこーだと語ってくる。

 

ええやん。

そんなの。

 

確かに、知識として知っていても、損はしなかろうに。

 

だからと言って、

それを、事前に操るのは、別と思う。

 

その知識のお陰で、

確かに、予防は出来る。

 

でも、事前操り、

そうね、たとえば、

「あんな、あーいう、酷いニュースは見せません。」で行って、

数年後、何処かで、

それ=自分自身のこと、また、そんな事件のこと、などなど、を

知って、

子はどう思うのかなぁ、というのが、あるわなぁ。

 

ってか、

「あーいう、あんな、酷いっ」て、

なんなんだろうなぁ、とも、思う。

 

加害者の家族や、遺族を思ったとき、

「あんな酷いの・・・」

 

そんな状況の中に、いる方々がいる、ってこと、に対し、

あんな酷いの、って・・・

 

寂しい世の中だぁ。と、思ったね。

 

 

起こっている、んだよ。

 

障碍がどうのこうの、は、別として、

この世でそれは起こっているんだ。

 

それを、

知ることさえ、しない。

教えることさえ、しない。

問われたら、封じる。

 

「あんな酷いの・・・」で、終わり。

 

教育って・・・

育児って・・・

それで、ええんかぃ?と、思う。

 

  

それって、なんちゅうかなぁ・・・

 

 

そのコト自体に、

わたしは違和感を感じて、

こんなことを書いた、夜中だった。

 

 

世の中は、

綺麗、だけ、では、ない。

だからといって、汚い、わけでも、ない。

 

今がある、のは、過去があるから。

未来を作るのは、今の自分。

 

過去に、サカキバラの事件や寝屋川の事件、

塾講師の事件、そして、秋田の事件、などなどについて

それなりに書いてきたけど、

リンク張るのも面倒くさい。

 

こういう、今宵のわたしの、

こんな気分を、

本当に、心から、察知してくれている人って、

いるのかなぁ、とか、思い、

あえてリンク張らずに、ポチっとしてみたりする。

 

おやすみぃ~☆

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コメント

書き始めると、止まらなくなるのだが、
なんか、「診断名」に罪を着せようと
いうのが、ブームなんですよね。
しかし、某所と某所での議論は、
全部を読んではいないが、義憤に
燃えすぎている気がしないでもない。
検察側は、こういう事件では間違いなく
鑑定を入れてくるし、弁護側が法廷で
主張したのではなく、一般に発表した、と
いうことは、光市の事件もあり、色々
考えられはするが、弁護士が発表しようが
しまいが、簡易鑑定ではそういう結果が出たわけで、
どのみちいずれ明らかにされることであり、
詳しく分からないのに動揺しすぎとも思える。
アスペの定義も診断も鑑定も、
今後流動的になっていき、細分化されると予想。

あかん、これぐらいにしとく。

投稿 うっでぃ | 2008/05/06 00:24

*** うっでぃ様 ***

これを、
 
大声で、言えるようになれたら、いいのになぁ・・・
 
で、走ってきた1年半。
 
 
ナニもしてあげれなくてというか、
足ばかり引っ張り。
 
そうか!、と、
今更だが、

気づいたこと、あり(^▽^)

投稿 ぴーまん | 2008/05/07 00:39

草加?挿花?装荷?

投稿 うっでぃ | 2008/05/07 23:35

*** うっでぃ様 ***
 

添うか~!だよっ!!!

投稿 ぴーまん | 2008/05/13 23:15

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