雑感
早く寝る予定だったが、久々にウロウロしていたら、
岡山の事件に関して、とか、とか、
まぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ イロイロ見てしまった。
ちと、思ったこと。
障碍と犯罪率、について、は、
わたしは結構、かなり、どうでもいい=関心が無い。
別に、それ以外でも、大抵、いつもなのだが、
わたしは、『この世的』科学的根拠、とか、っていうモノが
あんまり、いや、かなり、好きじゃないし、
それ以上に、占いとか、なんちゃら、とか、かんちゃら、とか、
全く興味が無い。
データー的に、
高いと出たら、
「じゃっ、逆を行こうさっ!」と、思うし、
低いと出たら、
「ほんまかいなぁ~っ?」と、思う。
それに左右されて、あーだこーだ、では無く、
この世的には、そうらしい。
じゃっ、それに対して、自分はどうするか?が、
大事なのではないか?と思っている。
だから、わたしは、
自分がASであろうが、線維であろうが、
自分の子供が、ASであろうが、
そんなことは、結構、かなり、どうでもいい。
子供が風邪をひこうが、
怪我をしようが、
大きな病になろうが、
そのナニになっているか、は、
結構かなり、どうでもいい。
じゃっ、どうしようか?
どうしたら、最適なのかなぁ?
どうしたら、これ以上の苦痛を防ぐことが出来るのかなぁ?
に、思考が行く。
だから、周囲が、
ああいう報道は・・・。とか言っているのも、
あんまり気にならない。
むしろ、自分だったら?にしか思考はいかない。
仮に、わたしが犯罪を犯したとして、
その背後にわたしの思考があったとして、
その思考全てが=AS、とは、思っていない。
それは、様々な後天的な要素により、
なんらかの影響を受けた、
わたしだけが持ちうる、わたしの思考、である、
くらいにしか、思っていない。
だから、
『自身が犯罪を犯した場合』、
(というか、日々の暮らしの中でのチョコチョコでも)
それをASと絡められたら、
わたしは、うぅぅーん。。。(--;;;と、思う。
子供等に対しても、同様である。
障碍を『言い訳』にはしない。
我が家は、それで動いている。
ちなみに、他者に対しては、そうは思わない、ってのが、
自分の中でグルグルである。
そして、自らがASと知っている息子に対しては、
報道を普通に見せている。
だって、仮に、隠したって、彼、新聞読むし(^▽^;;;
そして、家族で一事件について、
様々な立場(加害者・被害者・弁護側・検察側・遺族・・・)から、
そのところを考えつつ、
自分が思うことを正直に語り合う。
その時、息子&わたし&うっでぃ・・・娘等、には、
喜怒哀楽、いろんなことは生じる。
「それ言っちゃならんぜよぉ・・・」とかいう台詞も、
信じられないほどに、正直に語り合うし、
「そう感じてしまうのは、わかるよぉ・・・」とかも、語り合える。
そこで、互いに、激しいバッシングも受ける。
しかし、そのバッシングにも意味があると思うし、
それを言い合える関係であることに、
わたしは、いい家族だなぁ、を感じる。
そして、皆の気持ちが、それぞれの気持ちが一致した時、
そこには祈りが生じる。
一昨晩。
おっちゃんとM美ちゃんと、
ガソリン税などの話から、
現在の老人福祉話、母子家庭福祉話、
私学の学費が年間30万・・・・
なんちゃらかんちゃら話へと流れていった。
で、結果。
おっちゃんは、まぁ、途中で寝た。
その後、
未婚主任看護師で様々な死と向き合ってきたM美ちゃんは、
珍しく熱く語った。
「ってか、○△の親・・・。年間30万↑→夢終わり、は・・・」
「うん。一緒。」
「ってか、○△の老人支える人間・・・」
「うん。一緒。」
同時に、
「ありえへんよなぁ~!結局、そこで、ナニをするかだよなぁ!」
だった。
障碍は、先にも後にも来るさ。
病も一緒さ。
老いも一緒。
交通事故も一緒。
(婆ちゃんのあの事故は、結局、とんでもない結末になった。)
生きていれば、ハードルはやってくる。
そんなの、当たり前だ。
そのハードルに、周囲は、様々な色をつけ、
こちら側の見た感じ以上のデカさなり、小ささなりを、
あーだこーだと語ってくる。
ええやん。
そんなの。
確かに、知識として知っていても、損はしなかろうに。
だからと言って、
それを、事前に操るのは、別と思う。
その知識のお陰で、
確かに、予防は出来る。
でも、事前操り、
そうね、たとえば、
「あんな、あーいう、酷いニュースは見せません。」で行って、
数年後、何処かで、
それ=自分自身のこと、また、そんな事件のこと、などなど、を
知って、
子はどう思うのかなぁ、というのが、あるわなぁ。
ってか、
「あーいう、あんな、酷いっ」て、
なんなんだろうなぁ、とも、思う。
加害者の家族や、遺族を思ったとき、
「あんな酷いの・・・」
そんな状況の中に、いる方々がいる、ってこと、に対し、
あんな酷いの、って・・・
寂しい世の中だぁ。と、思ったね。
起こっている、んだよ。
障碍がどうのこうの、は、別として、
この世でそれは起こっているんだ。
それを、
知ることさえ、しない。
教えることさえ、しない。
問われたら、封じる。
「あんな酷いの・・・」で、終わり。
教育って・・・
育児って・・・
それで、ええんかぃ?と、思う。
それって、なんちゅうかなぁ・・・
そのコト自体に、
わたしは違和感を感じて、
こんなことを書いた、夜中だった。
世の中は、
綺麗、だけ、では、ない。
だからといって、汚い、わけでも、ない。
今がある、のは、過去があるから。
未来を作るのは、今の自分。
過去に、サカキバラの事件や寝屋川の事件、
塾講師の事件、そして、秋田の事件、などなどについて
それなりに書いてきたけど、
リンク張るのも面倒くさい。
こういう、今宵のわたしの、
こんな気分を、
本当に、心から、察知してくれている人って、
いるのかなぁ、とか、思い、
あえてリンク張らずに、ポチっとしてみたりする。
おやすみぃ~☆
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コメント
書き始めると、止まらなくなるのだが、
なんか、「診断名」に罪を着せようと
いうのが、ブームなんですよね。
しかし、某所と某所での議論は、
全部を読んではいないが、義憤に
燃えすぎている気がしないでもない。
検察側は、こういう事件では間違いなく
鑑定を入れてくるし、弁護側が法廷で
主張したのではなく、一般に発表した、と
いうことは、光市の事件もあり、色々
考えられはするが、弁護士が発表しようが
しまいが、簡易鑑定ではそういう結果が出たわけで、
どのみちいずれ明らかにされることであり、
詳しく分からないのに動揺しすぎとも思える。
アスペの定義も診断も鑑定も、
今後流動的になっていき、細分化されると予想。
あかん、これぐらいにしとく。
投稿 うっでぃ | 2008/05/06 00:24
*** うっでぃ様 ***
これを、
大声で、言えるようになれたら、いいのになぁ・・・
で、走ってきた1年半。
ナニもしてあげれなくてというか、
足ばかり引っ張り。
そうか!、と、
今更だが、
気づいたこと、あり(^▽^)
投稿 ぴーまん | 2008/05/07 00:39
草加?挿花?装荷?
投稿 うっでぃ | 2008/05/07 23:35
*** うっでぃ様 ***
添うか~!だよっ!!!
投稿 ぴーまん | 2008/05/13 23:15