キリスト教幼稚園バザーから思うこと
気づいたら1時だよ。
いいですかぁ。
これは、6歳で腐れクリスチャンにさせて頂き、
そんでもって、6歳にて教会運営に携わり、
その後、12歳で、教会学校の先生になり・・・
現在、ナニ??????? の、
腐れクリスチャンぴーまんの、小言。
だので、この記事を書くきっかけ、になったこと、に対し、
ごめんね~!は、不要だすぞ~。
いいですかぁ~。
それは、『最初からあったこと』で、更にグダグダ状態。
そこんとこ、了解してから、読むべし、ですぅ。
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実は今日=3日は、
娘等の通っている幼稚園=教会にて、バザーがあった。
そのバザーの目的は、
『とある貧しいと言われる国のお子さん方に・・・収益金を』
というものであった。
出店物には決まりがあり、まぁ、簡単に言えば、
『売れ残りにならないように、
といった条件のモノしか集めません。』
というものであった。
それについての呼びかけとして、
- 幼稚園からお便りにて呼びかけ
- 教会学校にて呼びかけ
- ポスター呼びかけ
- 登降園時に見えるよう、ホワイトボード呼びかけ
というのがあった。
そこまでは、まぁ、わかる(=あえて「わかる」が、ひらがな、ね)。
が、出店物収集前日に、
『保護者会』として、連絡網が回ってきて、
それの「最終報告は、園でなくて…」というものだった。
園とは関係なく、
この連絡網を利用し、動いている、ってこと、だよね。と、
それには、正直、わたしは、びっくりした。
その連絡が入った時点で、
「これは、出店物要求の半強制だ。」と思ったし、
逆に言えば、「購入の半強制」とも思った。
しかも、我が家は、2回(=アラレの組&ガッちゃんの組)
さぁ、わたし。
これに対し、どう行動するか、わたしなりに考えてみよう。
と、今回は、わたしなりに、真面目に考えた。
(ちなみに、わたしは、その収益金が行く場所について、
詳しい説明を、以前、受けている。)
『それから、イエスは宮にはいられた。
そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、
また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
そして彼らに言われた、
「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。
それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、
彼らをおいやしになった。(マタイによる福音書21章12-14節)』
が、即、出てきた。
数年前、
この世的に貧しいと言われる、ある米国からの伝道師さん
(=うっでぃに、川でバプテスマを授けた方)に、
教会の収益などなどを考えていったら、
バザーは・・・となった時に、彼はこう言っていた。
「どんな目的であろうとも、
聖なる場所で、してはならないことがある。
それに頼るよりも、祈りに頼るべきだ。」と。
それ以来、
腐れクリスチャンのわたしは、その言葉を大事にしている。
それとあわせ、
その収益金が送られる先への指定献金というモノがある、
ということを知っているわたし。
さて、どうしようか、と、わたしが悩んでいた時に、
今、大騒ぎ(?)な、あの大阪府の知事が、
なんちゃらかんちゃらの支援を打ち消すというニュースが流れ、
そこで、彼が言った言葉は、
「これだけの署名が集まっているのでしょ?
じゃ、この署名した方々が、
一人1000円でも、2000円でも出したら、
税金を使う必要はないでしょう?」という言葉だった。
わたしは、彼のことを、知らないし、
府知事として、どうのこうの、は、全くなんとも思わない。
ってか、どうでもいい。
でも。
いや~、この『言葉』は、デカかった。
だから、わたしは、
今回のバザーには、行かない、ということを選択した。
わたしは、
行ったら、絶対に悲しくなる、そう思ったからだ。
今回のバザーの出店物の数が幾らあったのか?
(つまり、購入しそうな人数と出店物との関係)
そして、それは、満たされていると言われるわたしたちが、
本当に欲するものが集められ、
欲したい、と、思い、購入するものなのか?
初めてこの幼稚園or教会に関わる方々に対し、
いわゆる強制という恐怖を抱かせないか?
そして、それが、当たり前、という状態にて、
これから反映していかないか?
結果、収益金は、幾らになるのか?
などなどなど・・・頭の中には、そんなことがよぎった。
それよりは・・・どうなのだろう。
「いわゆる貧しいと言われる国に住む、お子さん方がいます。
毎日、1食食べれたらいい、彼らはそんな環境に居ます。
(具体例を詳細に伝える)
そのような、この子達に、
一年にたった一回だけ、
新品のタオル・歯ブラシ・歯磨き粉・上下の下着・
上下の服・靴・文房具・・・
私どもは、彼らに、それを購入してあげたいのです。
ここからは、あなたなりの、で、いいのです。
あなたが、その子をわが子と思い、
祈りと思いを込め、
1年に一回、一人当たりの分でいいのです。
我が子を思いつつ、献金を捧げて頂けたら、と、願います。」
と、その場所=貧しいと言われるその場所、を知り、
その場にて働くものが、(言葉はものすげー悪いがねぇ)
もっと謙虚になり、それを伝えたならば、
ここに集う幼稚園ママは、もっと違った形で、動くだろうに。
だって、彼女等は、
こんな雨の日でも、バザーに行ってくれる方々なんだから。
仮に、
教会周辺、また、幼稚園ママ周辺に、このコトを周知させたい、
という目的ならば、他の方法はある。
腐れクリスチャンわたし的に、
目的と手段のズレを感じていたわたしは、
キリストの生誕を刻むたった一品だけ出店し、
バザーには、行かなかった。
そんな今日。
お役所から、一通の手紙が来た。
そこには、
「この世的福祉により、お宅に○万円あげます。」
と書かれていた。
さて、あんな記事を書いていたうっでぃと相談し、
何分の一を、今回の目的のため献金しようか?
だ、と、思う。
捧げる、ということは、奉仕なのである。
奉仕の意味を知らぬ段階で、それを、
なんちゅうかこの世的ナニナニにより、
強制してはならない。
ここ=礼拝堂、に、集ったばかりの方々、
また、キリスト教に触れたばかりの方々に対し、
強制的に威圧的に、それを求めてははならない。
しかし、それが来るだろう、ということは、
わたしは、完全に予測できていた。
だから、行かなかった。
行かなかったことは、良くなかったこと、
なのかもしれない。
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、
主なるあなたの神を愛せよ (マルコ12章30節)』。
と、わたしは、思う。
それを、知ることが無い方々に対し、
この世的ナニナニ=オタクのお子さん、ここに居るんでしょ?
という、保護者会
(ってか、その保護者会さんも、その目的・・・本当に知ってるん?)
が、騒いではならない。と、わたしは思う。
この記事を書くに至るコメにより、
『福音を述べ伝える』ということの、デカさを痛感した。
そして、その幼稚園に集う、1クリスチャンとして、
それを良し(?)としていることに対し、
本当に申し訳ないなぁ、と、思った。
が、更に、大変申し訳ないのだが、
わたしは、
そこの教会員ではない、し、なろうとも思っていない。
わたし的、クリスチャン行動として、
今回は、こう行動させて頂いた。
しかし、本当に、申し訳ない、と思う。
仮に、
「ここにある物、全て買います。
それは、金額的にです。
しかし、そのモノは、要りません。
わたしは、主により、全て満たされていますから(^▽^)」
という、行動も、はっきり言って、わたしなら取れたであろう。
しかし、今回は、それも、しなかった。
今日の記事は、
幼稚園批判でもなく、
そのことをし始めた方批判でもなく、
単なる、腐れクリスチャンなわたし的思考、
それだけ、のこと、である。
若干、いや、結構、寂しい、話、じゃのぉ~。
なぁ、うっでぃ。。。
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コメント
目的と手段が倒錯してしまう事はしばしあることで、
それはそれで、やむをえないことでもあるのだ。
なぜならば、人は、過ちを犯す動物であるからなのだ。
そして、それは、いつか自分で気付くことが必要なのだ。
そこから立ち返られるか、離れていくのか、
そこに分岐点があるのだ。
投稿: うっでぃ | 2008/06/04 01:20
*** うっでぃ様 ***
それに左右されて、
結局今朝は、自分が過ちを犯した気がする・・・(--;;;
人、というか、自分は常に、分岐点に立っている気がする。
そして、立ち返れていない。
ふはぁぁぁ・・・。ダメなヤッちゃっ。
投稿: ぴーまん | 2008/06/04 10:45
何にも考えていな~い。
ただ、幼稚園が求めているのであれば、従おうかな~?。
ちょっとでも幼稚園のお役に立つのであれば・・・と
動いた電電です。
そんな背景が、あったのかと考えさせられました。
ほんとうに、勉強になりますぅ。
保護者会の人も、本来の意味など、知らないでしょうね~。
出店数は、すごく多かった。
。
でも、絶対欲しいものは、私的にはなかった。
付き合い為の、右から左に流されました。
もっと、色々あった事を書くと、
ピーマンさん泣いちゃいそうなので・・・
やーめよっと
今日、うっでぃさんが、「コッコちゃーん
。ナナクン覚えてる
?」と声掛けてくれたのに、
。
兄妹そろって、無愛想に目線も合わさず去って行き・・・
すみませーん
明日の、はなの日礼拝の花。
。
ナナが、たまたま、「トルコキキョウ」を花屋で選びました
ぴーまんさんのところと縁を感じましたわ~。
感謝の意味も分からず、流されるまま持っていきま~す。
投稿: 電電ママ | 2008/06/04 22:47
*** 電電ママ様 ***
そこに従う、そして、そのお役に立つならぁ~、と、
それを、流されるままに、出来るところが、
わたしから見たら、本当に凄いのだよぉ~!と、
マジでマジで、思うのですっ♪
それが出来ないのが、
わたしの中のわたしの障碍?、というか、
わたし的なハードルなのですわっ。
付き合いのためは、やっぱなぁ、と、思う。
いつか、こっそり、その件について、
いい感じ、で、幼稚園とは関係ないお方に、
聴いてみよう、と思うわぁ。
うっでぃ・・・・・・
ってか、本日の彼。
あのスーパーで、もう一人の親御さん
(=女の子の赤ちゃんが居る御母さん)に会い、
あーだこーだとお話をさせて頂いたらしい(^^;;;
彼、子供、大好きでねっ。
今までの保育園でも、
全ての子供と仲良しになる・・・(^^;という傾向が・・・
放っておいてください=大変申し訳ありませんが、
好きにさせてやってください m(__)m
トルコキキョウですかっ♪
ガッちゃんは、「桔梗はわたしのお花」と言いますぅ(^▽^)
花の日礼拝の感謝は、
子供達に、母親に、父親に、そして、全ての生物に感謝!
かなぁ、と、わたしは思います。
互いの感情などは抜きにして、
全て作られたモノ=命あるモノへの感謝。
全くご縁の無い、先人の方々や、病んでいる方々への訪問は、
我を創造してくれた、我の先祖とは別に、
我がこの世に存在すること、その先を行ってくださった方への
感謝の表し方なのかなぁ、と、わたしは思います。
ひとつ、反省しました。
流されるまま、の、その結果で、心満たされる方々が在る。
わたしは、それを忘れていたかもしれません。
それを教えてくれて、ありがとう!!!
投稿: ぴーまん | 2008/06/05 00:03