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2008/06/04

キリスト教幼稚園バザーから思うこと

気づいたら1時だよ。

いいですかぁ。

これは、6歳で腐れクリスチャンにさせて頂き、

そんでもって、6歳にて教会運営に携わり、

その後、12歳で、教会学校の先生になり・・・

現在、ナニ??????? の、

腐れクリスチャンぴーまんの、小言。

 

だので、この記事を書くきっかけ、になったこと、に対し、

ごめんね~!は、不要だすぞ~。

 

いいですかぁ~。

それは、『最初からあったこと』で、更にグダグダ状態。

そこんとこ、了解してから、読むべし、ですぅ。  

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

実は今日=3日は、

娘等の通っている幼稚園=教会にて、バザーがあった。

 

そのバザーの目的は、

『とある貧しいと言われる国のお子さん方に・・・収益金を』

というものであった。

 

出店物には決まりがあり、まぁ、簡単に言えば、

『売れ残りにならないように、

 といった条件のモノしか集めません。』

というものであった。

 

それについての呼びかけとして、

  1. 幼稚園からお便りにて呼びかけ
  2. 教会学校にて呼びかけ
  3. ポスター呼びかけ
  4. 登降園時に見えるよう、ホワイトボード呼びかけ

というのがあった。

 

そこまでは、まぁ、わかる(=あえて「わかる」が、ひらがな、ね)。

 

が、出店物収集前日に、

『保護者会』として、連絡網が回ってきて、

それの「最終報告は、園でなくて…」というものだった。

園とは関係なく、

この連絡網を利用し、動いている、ってこと、だよね。と、 

それには、正直、わたしは、びっくりした。

 

その連絡が入った時点で、

「これは、出店物要求の半強制だ。」と思ったし、

逆に言えば、「購入の半強制」とも思った。

 

しかも、我が家は、2回(=アラレの組&ガッちゃんの組)

 

 

さぁ、わたし。

これに対し、どう行動するか、わたしなりに考えてみよう。

と、今回は、わたしなりに、真面目に考えた。

 

(ちなみに、わたしは、その収益金が行く場所について、

 詳しい説明を、以前、受けている。)

 

『それから、イエスは宮にはいられた。

 そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、

 また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。

 そして彼らに言われた、

 「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。

 それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。

 そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、

 彼らをおいやしになった。(マタイによる福音書21章12-14節)』

 

が、即、出てきた。

  

数年前、

この世的に貧しいと言われる、ある米国からの伝道師さん

(=うっでぃに、川でバプテスマを授けた方)に、

教会の収益などなどを考えていったら、

バザーは・・・となった時に、彼はこう言っていた。

 

「どんな目的であろうとも、

 聖なる場所で、してはならないことがある。

 それに頼るよりも、祈りに頼るべきだ。」と。

 

それ以来、

腐れクリスチャンのわたしは、その言葉を大事にしている。

 

それとあわせ、

その収益金が送られる先への指定献金というモノがある、

ということを知っているわたし。

 

さて、どうしようか、と、わたしが悩んでいた時に、

今、大騒ぎ(?)な、あの大阪府の知事が、

なんちゃらかんちゃらの支援を打ち消すというニュースが流れ、

 

そこで、彼が言った言葉は、

「これだけの署名が集まっているのでしょ?

 じゃ、この署名した方々が、

 一人1000円でも、2000円でも出したら、

 税金を使う必要はないでしょう?」という言葉だった。

 

わたしは、彼のことを、知らないし、

府知事として、どうのこうの、は、全くなんとも思わない。

ってか、どうでもいい。

 

 

でも。

いや~、この『言葉』は、デカかった。

 

だから、わたしは、

今回のバザーには、行かない、ということを選択した。

 

わたしは、

行ったら、絶対に悲しくなる、そう思ったからだ。

 

 

今回のバザーの出店物の数が幾らあったのか?

(つまり、購入しそうな人数と出店物との関係)

  

そして、それは、満たされていると言われるわたしたちが、

本当に欲するものが集められ、

欲したい、と、思い、購入するものなのか?

 

初めてこの幼稚園or教会に関わる方々に対し、

いわゆる強制という恐怖を抱かせないか?

 

そして、それが、当たり前、という状態にて、

これから反映していかないか?

 

結果、収益金は、幾らになるのか?

 

 

などなどなど・・・頭の中には、そんなことがよぎった。

 

 

 

 

それよりは・・・どうなのだろう。

 

「いわゆる貧しいと言われる国に住む、お子さん方がいます。

 毎日、1食食べれたらいい、彼らはそんな環境に居ます。

 (具体例を詳細に伝える)

 そのような、この子達に、

 一年にたった一回だけ、

 新品のタオル・歯ブラシ・歯磨き粉・上下の下着・

 上下の服・靴・文房具・・・

 私どもは、彼らに、それを購入してあげたいのです。

  

 ここからは、あなたなりの、で、いいのです。

 あなたが、その子をわが子と思い、

 祈りと思いを込め、

 1年に一回、一人当たりの分でいいのです。

 

 我が子を思いつつ、献金を捧げて頂けたら、と、願います。」

 

と、その場所=貧しいと言われるその場所、を知り、

その場にて働くものが、(言葉はものすげー悪いがねぇ)

もっと謙虚になり、それを伝えたならば、

 

ここに集う幼稚園ママは、もっと違った形で、動くだろうに。

 

だって、彼女等は、

こんな雨の日でも、バザーに行ってくれる方々なんだから。

 

仮に、

教会周辺、また、幼稚園ママ周辺に、このコトを周知させたい、

という目的ならば、他の方法はある。

 

腐れクリスチャンわたし的に、

目的と手段のズレを感じていたわたしは、

キリストの生誕を刻むたった一品だけ出店し、

バザーには、行かなかった。

 

そんな今日。

 

お役所から、一通の手紙が来た。

 

そこには、

「この世的福祉により、お宅に○万円あげます。」

と書かれていた。

 

さて、あんな記事を書いていたうっでぃと相談し、

何分の一を、今回の目的のため献金しようか?

 

だ、と、思う。

 

 

捧げる、ということは、奉仕なのである。

奉仕の意味を知らぬ段階で、それを、

なんちゅうかこの世的ナニナニにより、

強制してはならない。

 

 

ここ=礼拝堂、に、集ったばかりの方々、

また、キリスト教に触れたばかりの方々に対し、

強制的に威圧的に、それを求めてははならない。

 

しかし、それが来るだろう、ということは、

わたしは、完全に予測できていた。

 

だから、行かなかった。

 

行かなかったことは、良くなかったこと、

なのかもしれない。

  

『心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、

 主なるあなたの神を愛せよ (マルコ12章30節)』。

 

と、わたしは、思う。

 

それを、知ることが無い方々に対し、

この世的ナニナニ=オタクのお子さん、ここに居るんでしょ?

という、保護者会

(ってか、その保護者会さんも、その目的・・・本当に知ってるん?)

が、騒いではならない。と、わたしは思う。

 

この記事を書くに至るコメにより、

『福音を述べ伝える』ということの、デカさを痛感した。

 

そして、その幼稚園に集う、1クリスチャンとして、

それを良し(?)としていることに対し、

本当に申し訳ないなぁ、と、思った。

 

が、更に、大変申し訳ないのだが、

わたしは、

そこの教会員ではない、し、なろうとも思っていない。

 

わたし的、クリスチャン行動として、

今回は、こう行動させて頂いた。

 

しかし、本当に、申し訳ない、と思う。

 

仮に、

 

「ここにある物、全て買います。

 それは、金額的にです。

 しかし、そのモノは、要りません。

 わたしは、主により、全て満たされていますから(^▽^)」

という、行動も、はっきり言って、わたしなら取れたであろう。

 

しかし、今回は、それも、しなかった。

 

今日の記事は、

幼稚園批判でもなく、

そのことをし始めた方批判でもなく、

単なる、腐れクリスチャンなわたし的思考、

それだけ、のこと、である。

 

若干、いや、結構、寂しい、話、じゃのぉ~。

 

なぁ、うっでぃ。。。

 

 

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コメント

目的と手段が倒錯してしまう事はしばしあることで、
それはそれで、やむをえないことでもあるのだ。

なぜならば、人は、過ちを犯す動物であるからなのだ。

そして、それは、いつか自分で気付くことが必要なのだ。
そこから立ち返られるか、離れていくのか、
そこに分岐点があるのだ。

投稿: うっでぃ | 2008/06/04 01:20

*** うっでぃ様 ***
 
それに左右されて、
結局今朝は、自分が過ちを犯した気がする・・・(--;;;
 
人、というか、自分は常に、分岐点に立っている気がする。
そして、立ち返れていない。
ふはぁぁぁ・・・。ダメなヤッちゃっ。

投稿: ぴーまん | 2008/06/04 10:45

何にも考えていな~い。
ただ、幼稚園が求めているのであれば、従おうかな~?。
ちょっとでも幼稚園のお役に立つのであれば・・・と
動いた電電です。
そんな背景が、あったのかと考えさせられました。
ほんとうに、勉強になりますぅ。

保護者会の人も、本来の意味など、知らないでしょうね~。

出店数は、すごく多かった。
でも、絶対欲しいものは、私的にはなかった。
付き合い為の、右から左に流されました。
もっと、色々あった事を書くと、
ピーマンさん泣いちゃいそうなので・・・
やーめよっとpaperconfident

今日、うっでぃさんが、「コッコちゃーんsmile。ナナクン覚えてるsmile?」と声掛けてくれたのに、
兄妹そろって、無愛想に目線も合わさず去って行き・・・
すみませーんcoldsweats01

明日の、はなの日礼拝の花。
ナナが、たまたま、「トルコキキョウ」を花屋で選びましたheart02
ぴーまんさんのところと縁を感じましたわ~。

感謝の意味も分からず、流されるまま持っていきま~す。

投稿: 電電ママ | 2008/06/04 22:47

*** 電電ママ様 ***
 
そこに従う、そして、そのお役に立つならぁ~、と、
それを、流されるままに、出来るところが、
わたしから見たら、本当に凄いのだよぉ~!と、
マジでマジで、思うのですっ♪ 
 
それが出来ないのが、
わたしの中のわたしの障碍?、というか、
わたし的なハードルなのですわっ。
 
付き合いのためは、やっぱなぁ、と、思う。
 
いつか、こっそり、その件について、
いい感じ、で、幼稚園とは関係ないお方に、
聴いてみよう、と思うわぁ。
 
 

うっでぃ・・・・・・
 
ってか、本日の彼。
あのスーパーで、もう一人の親御さん
(=女の子の赤ちゃんが居る御母さん)に会い、
あーだこーだとお話をさせて頂いたらしい(^^;;;
 
彼、子供、大好きでねっ。
今までの保育園でも、
全ての子供と仲良しになる・・・(^^;という傾向が・・・
 
放っておいてください=大変申し訳ありませんが、
好きにさせてやってください m(__)m 
 
 
トルコキキョウですかっ♪
ガッちゃんは、「桔梗はわたしのお花」と言いますぅ(^▽^)
 
花の日礼拝の感謝は、
子供達に、母親に、父親に、そして、全ての生物に感謝!
かなぁ、と、わたしは思います。
 
互いの感情などは抜きにして、
全て作られたモノ=命あるモノへの感謝。
 
全くご縁の無い、先人の方々や、病んでいる方々への訪問は、
我を創造してくれた、我の先祖とは別に、
我がこの世に存在すること、その先を行ってくださった方への
感謝の表し方なのかなぁ、と、わたしは思います。
 
 
 
ひとつ、反省しました。
 
流されるまま、の、その結果で、心満たされる方々が在る。
 
わたしは、それを忘れていたかもしれません。

それを教えてくれて、ありがとう!!!

投稿: ぴーまん | 2008/06/05 00:03

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